2007年7月13日金曜日

何のための古文?

妹の結婚相手は中学の国語教師で、学生の頃から古文が好きだと言った。
「あんなもんおもしろい?」と聞くと
「それが分かってくると結構おもしろくて」と言った。

では、 武田信玄の書状とか、読めるの? って聞いたら 「いやぁ、・・・・・」と困ってしまったので
「いや、君を困らせるために言ったんではないのだけど、実際に古文の活用ってそういうコトでしょ? 分かってくるってのは、試験が分かってくるってことだと思うんだけど、そういう風な面白さってのもあるのだろうけど、他の人には伝わらないね。 オレは英語、TOEICを勉強しているんだけど、確かにTOEICのテストの点数が伸びてくる良さってのは分かるんだけど、それは副次的なことで、本来は英語を活用してこそ、読んで、話して、書いてそこから、コミュニュケーョンが出来て、そして情報が取れて、情報を伝えられてこそ本来の喜びであり、活用であると思っているんだ。」
「オレも勉強しなおそうかな」 
「そうだね、納得いくまで勉強したほうがいいよ。」

試験が出来るとか、教科書が理解できるってコト、その先に活用するコトっていう目標があって。

確かにテスト出来なきゃ活用出来ないんだけど、 テスト出来ても活用できなかったりして。


常にそういう疑問ってあって、 「勉強が面白いってのは、活用できてこそおもしろいわけで」学習によって得られた知識すらも活用できない知識レベルの教師が適当なコトを言って「たのしい」なんていったところで勘のいい生徒なんかは見透かすもんで。

だから、英会話が出来ない、または、英会話を日常としてない英語教師が一生懸命教えたところで「アホくさ」なわけで。 

教師という人間は職業教師っていうか、「勉強が分かる故に教師になれた」だけな気がしちゃって、では、教師を目指さぬ奴は勉強は本当に意味が無かったり感じてしまうわけで、 そういう偽者が「勉強は大事だ」なんて言ったところで、流れに竿さすヘタレで大半を構成している日本社会、子供も同じで、表面的には波はたたぬと思うけど、いったん落ちこぼれになると鬱積したストレスのたががはずれバックラッシュを起こし、ヤンキーになっちゃったりするんだけど、 そういうスパイラルの原因にクソでアタマの悪い教師がいるのかなーと思いました。

0 件のコメント: